忘れたくないひとりごと。

日記。思ったこととか、考えたこととか。忘れたくないところだけ描く。いつか忘れる生き物だから。

当たり前とか普通とか

当たり前普通という感覚は、人それぞれ違う。多少似通っている部分もあって、そういった部分を常識だと呼んでいたりする。

これは私にとって、当たり前のことであり、普通のこと。

 

つまり自分の普通と他人の普通は違っている可能性があると知っている、ということ。

 

「当たり前でしょ?」「そのくらい普通だよ」

「当たり前のこともできないの?」「ちゃんと普通にしててよ!」

 

あまりに自分の思っていた当たり前や普通からズレた行動をされた時、咄嗟に言ってしまいそうになるこういう言葉たち。

 

冷静に考えると、ものすごく理不尽だよね。

なんの根拠もなく、私の考える当たり前や普通は正しくて、相手の当たり前や普通は間違っていると決めつけて怒っているのだから。

 

相手がもしその場に適さない事をしていたのであれば、その事について何がどう適さないから、こうしてほしいと伝えるだけでいい。

理不尽な怒りを受け取ってしまうと、やる気も向上心も消えていってしまう。

 

人に対して当たり前普通という言葉を使う時は必ず、「私は○○が普通だと思っているのだけど~‥」というように、あくまで私の意見として言うようにしている。

こんな少しの言葉でも傷つくことがあるから。

 

あなたの普通は、そのままでいいんだよ。

その場に適していないことはあったとしても、間違っているということはないよ。

自分と違う 普通 に出会っても、それでいいんだよ。個性ってそういう違いの総称みたいなものだから。

大人ってなんだろね。

今週のお題「二十歳」

去年成人式を経験して、もう1年経ったというのに大人になったと明確に自覚したことはまだないんだ。

 

それはきっと、いまだに周りの人たちが私を守ってくれているからなんだと思う。まるで子どもを守るように。

 

いつまでも私を守ろうとしてくれる人たちが私の周りにいるということ、私も守る側になっていくこと、それが多分愛情とかそういうものの1つだということ。

 

そのくらいは、わかるようになった。

昔はそれさえも分からなくて、私はひとりぼっちだと思っていたし、ひとりぼっちのほうがいいと思っていた。

 

守られる=人様に迷惑をかけている

守る=私のための偽善

 

こういう考え方しかできなかった。

 

今は、守られることに対して素直に感謝できる。好意を受け取ることができるようになった。

守ることがたとえ偽善だとしても、何かしらの良いことに繋がるならそれでいいじゃないかと思えるようになった。

 

少し、大人に近づいてきたのかな。

わからないけれど、昔の考え方より今のほうがずっと私は気に入っている。

 

大人ってなんなのか、それはよくわからないけど、こうやって少しずつ私をアップデートしていくのが成長というやつで、たくさん成長してから過去を振り返ったときに「大人になった」と思うんだろうな。

 

はじめまして、わたはる です。

はじめまして、わたはる と申します。

 

圧倒的ブログ初心者です。ド素人です。

 

日記も手帳も続かない飽き性ですが、書くこと自体は小さい頃から好きでした。

 

文字も、絵も、書く(描く)ということが好きなんです。

私の初めての友達は、多分、紙です。

 

心の中を、思ったことを、願ったことを、夢を、闇を、誰にも伝えられない時でも、紙にだけは素直に書き出せた。

 

今も紙にだけは素直になれる。

 

でもまぁいろいろ事情もありまして、そんなに紙を保管していられなくなりまして。

 

紙のように私が素直になれる場所が欲しかったのです。

 

というわけで、続けられるかわかりませんが私なりにブログを書いてみようかと思います。

 

お時間ありましたら、のんびり見守って頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いいたします。